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アウトライン
さばくと裁きの霊にしばられる
人は正しく裁けるのか?
〜 宗教的にならずに聖徒に整えられるのか〜
十字架を中心とした生活
具体的な信仰生活
心注ぎだす祈り
「私を変えてください」祈りをやめる
自分で判断することをやめ、聖霊さまとみことばともに歩む生活
参考となる祈り
「わたしは、みにくい自分をゆるします。
神さまのように接してくれなかった父母をゆるします。
競争させた教師と上司、私の上にある権威者をゆるします。
自分をみうしなうようなひどい社会に置いた天のお父さんをゆるします。」
「イエスさま、あなたをわたしの人生のボスとして受け入れます。あなたは私の救い主です。あなたを信頼し、愛します。」
「自分を変えてください、という祈りはやめます」
「聖霊さまの導きに身をゆだねます。あなたの声をきかせてください、もう自分でさばくことをやめます」
「わたしには、無条件で愛され居場所があることをうけとめます。」
主イエスキリストの御名のよって、祈ります アーメン
霊的洞察:
イエスさまはさばく権利と能力を持っていたが、決して自分ではされなかった。天の父に聞いたのだ。それは私たちのモデルとなられたのだろう。自分で義とあわれみを完璧に判断することは不可能なのだ。また、完全に神に頼ることも不可能なのだ。ありのままの自分で神の前にでよう。聞かん坊のあなたを天の父は愛しておられあなたをもちはこぶ。このように祈ってはどうか、「イエスさま、あなたをわたしの人生の王として受け入れます。あなたは私の救い主です。あなたを信頼し、愛します。」「自分を変えてください、という祈りはやめ聖霊さまの導きに身をゆだねます。あなたの声をきかせてください、もう自分でさばくことをやめます」