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神は私たちの何を、一番大切にしているだろうか?才能、持ち物、外見、この世が見るのは大抵こんなところだ。しかし神は私たちの人格を見ておられる。もちろん完全な人になれ、というのではなく、常に成長し続ける人格を見ておられる、と思う。イエスは人間に神が望む人格を色々と表した。
今日はその中でもイエスの素朴さについて話したい。
素朴さ(自然体)はイエスの重要な一面だ。イエスは素朴で近づきやすい人だった。第一、子供が率先して近づくことができた。あなたはちかよりがたい変な権威をまとってはいないか。またイエスは自分から人に近づく人でもあった。なれなれしいわけではないが、人を恐れて緊張したわけでもなかった。
ふたつめにイエスは素朴でさりげなかった。大勢の人の前で話すこともあったが、奇跡を宣伝したり、大げさな話し方もしなかった。いいかえれば、人を強制したり、操作したりすることがなかった。
三つめにイエスは素朴で知恵があった。知識ではない。人の理性や感情を刺激して、自ら考えたり、疑問に思うこと、そして真理を追求し、それに人生を捧げる意志を注入した。知識を伝える雑学オタク(これも役に立つときはあるが)はどこにでもいるが、人を自立させ、励ます師範はなかなかいない。
このイエスの素朴さにどうやって近づこう?キーワードは子供である。子供のようにならなければ神の国に入ることは難しい、とイエスは言った。子供時代は誰にでもあったはず。そのときを思い出してみよう。近づきやすい、さりげない、そして先入観のない知性をだれでも持っていたはずだ。その心を思い出そう。そしてそこから神の言葉に近づき、人に接してみたらどうだろう。