2007/9/2の礼拝メッセージ

今週のメッセンジャー:ゆう

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マタイ18:21〜35 「心の傷を消していく力:ゆるしを理解する」

アウトライン:
●聖書箇所への質問
1.ゆるしをまず行なったのはだれですか?
2.恩恵を受けた人はどのような行動をしましたか?
3.このことから何を学びますか?ゆるしを受け取ること、ゆるすこととはどういうことですか?

●学べること:
◆ゆるしは、日常生活でするとても自然な人間的な行動であり、崇高な清い行為です。
◆ゆるしは道徳や決まりではない。人として生きるための能力。
◆ゆるしの主権は神さま(Iヨハネ4:10)。

◆ゆるしの存在しない世界に住むなら4つの選択肢しかない
1.相手から与えられた痛みをいつまでも思い出し続ける
2.うらみをいだき続ける
3.過去にしばられ、時間が止まる
4.復讐する。
◆その対(つい)となる悔い改めがない世界は
1.いつまども負い目を感じる
2.自分の価値がわからなくなり、生きる意味もわからなくなる
3.死にたくなる

●ゆるさなかったら....:
心が凍りつく

●ゆるしを達成するために:
1.まず、「ゆるす」道のりを歩む覚悟をする。
2.復讐することを放棄する。
3.ゆるしを達成する主権は神であることを認め回心し、主イエスキリストによる救いを体験する
(日々体験する)

霊的洞察:
マタイ18章のたとえ話から「ゆるし」について学んだ。ゆるしの主権は神にあり、祈ることがそれをよく理解させる。ゆるしは日常生活で行われる、人間的であり清い行為であること。また道徳や決まりではなく、人として生きるための能力だ。日本の文化にはキリストの教えの「ゆるし」の発想や観点がない。それは許可とか承諾という意味合いが強く、悪いことをし続けて良い感じがあり、人のした過ちをゆるすことは、甘やかすあきれた行動だ、と思うのが常のようだ。また、伝統的な教会の教えの中でゆるしは決断や決まりごとのように伝え、人にはゆるす能力があるかのように教えてきた。