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トフラーの「未来の衝撃」という30年以上前の書物がある。この中のいくつかの予想は今日実現していて確かに、衝撃的ではある。しかしキリストは2000年たった今も、バイブルやそれを信じる人々を通して私たちに衝撃を与え続けている。
イエスの教えは衝撃的だった。「〜の品格」という似たようなタイトルの書物やドラマが大流行だ。先日もその中のひとつを手にとって見たが、確かにいいことは言っているもののそれだけ。人の生き方にインパクトを与えることはなく、娯楽程度に感じた。将来大手古本屋の105円コーナーにさえ並ぶことができるかどうか疑問だ。イエスは説教くさくない。人を上から身下ろすような道徳、宗教、哲学の先生たちとは違い、周りの人に喜びと生きる実感をもたらした。
苦しみにおけるイエスの態度も衝撃的だ。十字架にかかる前、迫害の中でも穏やかであり、なおかつ人々を驚嘆させる言葉を語った。(たとえば「今日、私は神の右の座に着きます。」など)これを聞いた人々は必ず心に動揺を感じている。
イエスの生き方も衝撃的だった。政治権力を求めたことは一切ないのに周りからは革命家とみなされた。社会の常識や、先入観にとらわれている人たちを自由にした。士師の時代、ペリシテ人の支配の中、40年も偶像礼拝や奴隷状態に甘んじ、あきらめていた人々にサムソンが登場し、その時代を動かしたようにキリストも、人の心を強く動かした。
実は私たちもも少しは周りに衝撃を与える生き方ができる。サムソンがペリシテに襲われたとき、ロバの新しいあご骨をつかったように、イエスがエルサレムに入る時にロバの子を使ったように、つまらなく見えるものが大きな働きに使われる。問題はそれを手にとる、または差し出すかどうかだ。